シェアハウス 花街shibuyaとは

シェアハウスとは

シェアハウス、ゲストハウスは、海外では旅行や留学、ショートスティなどで利用されており、近年では日本でも住まい、宿泊施設として定着しています。

シェアハウスは、ひとつの住まいをみんなで共有して生活します。自分の部屋のプライベートスペース以外はリビング、キッチン、洗面所などが共用スペースとなり、自然にルームメイト同士の交流が生まれ、一人暮らしには無いコミュニケーションの場により、寂しさや心細さが解消されるものと思います。

プライベートスペースの家具やパブリックスペースの家具、家電、調理器具、食器類も全て揃っており、電気、ガス、水道、インターネット費用などが管理費に含まれています。

1人暮らしでは、体調を崩したときや緊急なときに頼れる人が身近にいない場合があります。シェアハウスの場合、ルームメイトが声を掛けてくれたり、助けてくれたりするので安心して生活ができます。シェアハウスでは誰もが1人では無く、近くに友人が居てくれる環境があります。

また、個々のプライバシーは守りながら、一人暮らしでは住めないハイクラスのエリア、高級マンションなどに住めるのがシェアハウスの利点ではないでしょうか。

花街shibuyaは、紫のソファーが印象的な約10畳のリビングダイニングを中心に5つの部屋から構成されます。

共用部分には定期清掃が入り、消耗品は補充・交換致しますので、入居者の皆様は自分の時間をお楽しみいただけます。

コンセプト

花柳界としての円山町花街がコンセプトです。和洋折衷の大正ロマンの雰囲気が花街shibuyaにはあります。

リビングダイニングの琉球畳、壁に掛けてある襖、紫のソファーが三味線の音が鳴り響く、花街(かがい)隆盛の頃の円山町へと皆様を誘います。

花街shibuyaの場所は、1997年頃まで芸者をめざす若い女性が日々お師匠さんに稽古をつけていただいた渋谷見番でした。
その渋谷見番があった場所で、アントレサポートがインキュベーションセンターとして起業家の独立開業サポートを行っています。

私たちアントレサポートでは、起業相談会、税務相談会、労務相談会を定期的に開催していますので、皆様にご利用して頂ければと思っています。

渋谷見番にて

渋谷区円山町は、100年以上前から女性が主役で若い女性が夢に向かってがんばってきた場所です。
夢ある皆様も花街shibuyaで夢を実現して下さい。

円山町花街 応援プロジェクト

山町芸者 喜利家 鈴子さん

円山町芸者 喜利家 鈴子 喜利家 鈴子profile

私が18歳の頃、実家の山口県下関から円山町で置屋を営んでいた叔母の家に遊びに来たときに初めて芸者という仕事を知りました。
着物を着た叔母がお稽古をしている姿がとても素敵で、今も印象に残っています。その後、私も芸者になるため、踊りや三味線など色々とお稽古事をしてまいりました。

アントレサポートさんがある場所は、以前、和風三階建ての「渋谷見番」がありました。
玄関には札が並べられ、お師匠様が若い芸者さんに稽古をつけ、二階から三味線の音が明るいうちから毎日のように聞こえていました。その頃には芸者も80人くらいはいて、路面には打ち水がしてあり、ゴミ一つ落ちていない、昼間から色気のある街でした。

円山町芸者 喜利家 鈴子
私たちは、芸事はもちろん、着物の着こなしに至るまで伝統に基づいた本物志向でお客様をお迎えすることを心がけています。
新橋や向島のように伝統を守り続ける場所がある一方で、守るべき伝統がなくなりつつある円山町で、新しい花街文化を思い切ってやってみる価値があると思っています。

若い方や外国の方に花街文化としてお座敷遊びを楽しんで戴ければと思っています。昔は粋な大人の遊びとして男性がお客様でしたが、是非、女性の方にも日本の文化として楽しんで戴ければと思います。

史を紐解く

円山町花街は、明治の頃より神泉町に浴場と料理店を兼ねた「弘法湯」があり、その周辺に料理旅館が出来はじめ、隣接する円山町が花街として発展しました。
その後、世田谷に陸軍部隊が増設され、将校たちが円山町の料亭を利用するようになり、円山町花街の全盛期を迎えます。

歴史を紐解く

大正時代に入り、三業地(料亭・待合・芸妓置屋の三種の営業が許可される区域を指す行政用語)に指定され渋谷三業として隆盛を誇り、最盛期の1921(大正10)年には料亭36軒、待合96軒、芸妓置屋137軒、芸妓の数は400名を数えました。

関東大震災後は道玄坂の「百軒店」を中心に再開発が進み、昭和に入ると歓楽街として体裁を整えましたが、1945(昭和20)年の空襲で花街の大半が灰燼に帰しました。戦後、焼け残った七軒を基盤に花街を復活させましたが、その後、連合国軍の進駐に伴ってキャバレーやダンスホールが乱立することとなり、「オイルショック」などを経て粋な黒塀越しの料亭は次第に廃業し、ホテル街へと変貌しました。

路地裏にある元料亭の横には地蔵菩薩が奉ってあります。
道玄坂地蔵の名で親しまれており、近隣住民がきれいに掃除を行っています。三百年前から玉川通りにあったそうですが、関東大震災後、円山町に移築されたそうです。

歴史を紐解く(参考文献 「新修 渋谷区史」)

座敷へのご案内

お座敷へのご案内

お座敷は、先ずは、料理屋のお席に着いて出されたお料理、お酒を楽しみます。
暫らくして始まるのが「お座付き」と呼ばれる舞の披露です。その時々で披露される舞は異なりますが、芸者さんの三味線に合わせた舞いを楽しんでいただき、漂う色香や粋な計らいから花柳界の一端を感じとっていただけるものと思います。

お酒と芸者さんの舞でくつろいだあとは、昔ながらのお座敷遊びがありますので、芸者さんに教えてもらうのも一興です。

また、粋な大人の遊びと考えるならば、小唄や長唄などを芸者さんに御願いしてみてはいかがでしょうか。勿論、その為にもお客様が小唄や長唄を勉強する必要がありますが、芸者さんに粋な旦那と思われることでしょう。
また、更に上級者をめざすならば、三味線の伴奏で小唄や長唄を唄って見られるのも良いかもしれません。芸者さんがお客様の唄で舞を舞ってくれるかもしれません。


■基本的なお座敷の流れ
基本的なお座敷の流れ
基本的なお座敷の流れ

街の隠語

お座敷遊びで花街の隠語を知っていると、芸者さんに粋な旦那と思われるかも・・・・・

隠語 意味
御座付 季節や地方に応じた踊りや歌でご挨拶をする。
糸(いと) 三味線
置屋(おきや) 芸者さんが所属するところ
見番(けんばん) 置屋を統括するところ。 線香代などを決めたりします。検番ともいいます
地方(じかた) 三味線を弾く人のこと
立方(たちかた) 踊りをおどる人。
線香代(せんこうだい) 芸者さんと遊ぶときの30分間の代金。通常、線香三本で一席。 その昔、時間を計るのに線香を燃やしていたので、このような呼び方に。
花代ともいう
花代(はなだい) 線香代と同じ・玉代(ぎょくだい)とも言う
つけっぱなし 時間無制限の意。「つけっぱなしでやってくれ」という風につかう
後口(あとぐち) 後ろに座敷が控えていること(お呼びが多く掛かっていること。売れていること)
おかばっれ 純愛(プラトニック ラブ)
浮き名もうけ 人が羨むような人と噂になること

座敷遊びのいろいろ

明治の頃より、小唄も都々逸もできないが、芸者衆と一緒に遊びたい、お座敷で楽しみたいという方のために考案されたお座敷ゲームです。
旦那衆が酔っていても覚えられ、楽しめる様に簡単なルールになっています。特に道具を使わずに、お座敷にあるものを使って行うゲームはとても愉快で楽しいです。

(1)迷惑拳
ジャンケンで負けた人の隣の人がお酒を飲む遊び。
(2)お開きさん
二人で向かい合い、ジャンケンで負けた人は、足をだんだん開いていき、
手をついたら負けというゲーム。「お縮みさん」といって、だんだん体を低くしていくものもあります。
(3)とらとら
「国姓爺合戦(こくせんやがっせん)」を題材にした体を使って遊ぶ「じゃんけん」。
唄の最後に、「とらとらとーらとら」で、決まりのジェスチャーで勝敗を決めるのですが、じゃんけんと同じく三すくみになっています。
和唐内(やりでつく)、 虎(よつんばいになって這って出る)、 お婆さん(杖をつく)
屏風のあちらとこちらに二人が立ってスタートし、 曲の最後に「とらとらとーらとら」が終わると、 屏風の陰から姿を出して勝敗を決めます。
 
和唐内は虎退治をしたという英雄。虎には強いけれど、母であるお婆さんには弱い。 虎は、お婆さんには強いけど、和唐内には弱い。
お婆さんは、和唐内には強いけど、虎には弱い。 と、それぞれに性格があります。あいこで引き分けたら、もう一回。
負けたら、罰杯でお酒を飲まなければなりません。
(4)金比羅船
2人向き合って座り、間にお膳や台を置き、その上に徳利の袴を置き、「金比羅船々」の音楽に合わせ、交互に徳利の袴の上に手を載せます。
徳利の袴の上に手を載せたとき、袴を掴んで取っても良い。取ったときは次に戻します。 台の上に徳利の袴が有るときは手を開き、無いときは握らなければなりません。間違えた方が負けになります。
音楽を次第に早めていき、どちらかが間違えるまで行います。 2人で音楽に合わせて動作し、先に間違えた方が負けとなります。
負ければやはり罰杯です。
(5)おまわりさん
中央に太鼓を置いて向き合って、「おまわりヨイヤサ!」でじゃんけんをします。勝った方は「おまわりなさい」と言いながら太鼓を叩き、負けた方はそれに合わせて一回転する。これを続けます。酒が一層廻ってしまうというわけです。